samuraiblues’s diary

多趣味人間による、仕事や人生を豊かにするコトやモノのお知らせ。

グローバル化と幼少期からの語学学習②

すでに始まっているグローバル化に向けて、幼少期より他国言語を

 

学習・使用する機会があった方が良い。

 

もちろん、大人になってからでも遅くない。

 

いざ、自分が日本以外の国で働かなければならなくなった時、

 

今の自分や今後の自分に多言語を求められることになった時、

 

困らないように準備しておきましょう!というとこと、

 

「なぜその言語を学ぶのか?」という目的を明確に持つことが必要

 

というお話です。

 

 

2012年の夏。

 

当時の上司から「来月から中国に異動」と電話がきました。

 

1ヶ月後には中国?

 

自分の状況がイマイチ理解できず、ただただ呆然としました。

 

 

 

まあ、グローバル展開している会社なので、

 

いつか自分も海外への異動はあるだろうと思っていましたが、

 

 

 

今ですか!!!

 

 

 

私は、英語はカタコトで、ましてや中国語は

 

今まで興味すら持っていない状況でした。

 

 

 

まあ、何とかなるだろうと深く考えていませんでしたが、

 

現地に着いてからは苦労の連続。

 

 

 

当時は日本との領土争いで治安も良いとは言えず、

 

2週間はホテルから出るなと言われていましたが、

 

なぜか怖いもの知らずの私は普通に食事や

 

買い物で外出していました。

 

 

 

しかし、言葉が全く分からないので

 

赴任当初は以下の「困ったポイント」がありました。

 

①何がどういう料理なのか分からない

 

②ポテチが何味か分からない

 

③銀行口座の作り方が分からない

 

④電車やバスの乗り方が分からない

 

⑤電車やバスに乗ったのは良いが、行き先が合っているか分からない

 

⑥外出時に道に迷って困った時に助けを求められない

 

⑦なぜ怒っている(怒っているように見える)のかが分からない

 

⑧タクシーなどの列に並んでいるのに、自分の前に割り込まれるが

 

何と言って良いか分からない

 

⑨ホテルのシャワーでお湯が出ないのに、フロントに行っても

 

英語が通じない

 

カップヌードルの味が日本と全然違うのに、何味か分からずに

 

諦めて食べるしかない

 

 

 

そんなコトで???と思われたそこのあなた!

 

いやいやいや!

 

これ、本当に困ったんです!!!

 

特に、カップヌードルとポテチの味が分からないところ!w

 

 

 

次に、仕事の「困ったポイント」は以下です。

 

一応、赴任後から2年間は通訳の方がいらっしゃるとのことで

 

安心して行ったのですが、、、

 

①通訳はおらず、通訳の候補者を面接するところからスタート

 

②通訳が見つかるまでは一人で新幹線などで移動

 

③新幹線のチケット購入方法が分からず、チケット売り場で

 

俺の後ろに長蛇の列

 

④中国人の部下・同僚と仕事をしていても、問題・課題・原因などを

 

伝えることができない

 

⑤日本語どころか英語もほとんど通じない

 

⑥一部の中国人は超絶ネイティヴな発音で英語を話す

 

しかも急に

 

⑦明らかに取引先のミスなのに、改善要求が自分で出来ない

 

⑧赴任1ヶ月後にようやく通訳の方が決まるが、3ヶ月で退職

 

⑨日本の漢字と中国文字(簡体字)、ほぼ違う

 

⑩日本語と中国語で漢字は同じでも意味が違うものがある

 

 

 

もっともっとあるのですが、

 

いや〜、当時は本当に凹んでいました。

 

 

 

ここで、私の体験から言えるのは、

 

・習うより慣れよ

 

・使いながら慣れよ

 

です!

 

要するに、インプットよりもアウトプットの回数が

 

多ければ多いほど、身に付きます。

 

 

また、

 

・相手を理解する

 

・自分の意識と行動を変える

 

という2つも重要。

 

 

 

当初、言葉が分からないのがストレスでした。

 

一方で、日本とは全然違う文化や習慣、その国の人が

 

何を大切にしているのか?などを自分から深く理解を

 

しにいく姿勢や心構えみたいなのが、

 

圧倒的に不足していたと思っています。

 

 

 

そして、なぜその言語の習得が必要なのか?

 

何を成し遂げたいのか?という目的の明確化が必要。

 

 

 

私の場合は、最初は言葉を覚えるのが目的になっていましたが、

 

「同じ事業を通して中国という国とその国で生活する人の

 

生活水準を豊かにする」という目的が明確になった時期から

 

国語学習に本気で向き合えたな、と思います。

 

 

 

続く。